私はたまに「発想が物騒」だと言われる。韻を踏んだね。そう、発想が物騒。
最近は、竹下通りに人が集まりすぎて、まともに歩けなくて殺意を抱いた。みんなあの通りに何を求めてるの?ピコピコ耳が動くうさぎの被り物?カラフルなわたあめ?
いつも竹下通りは混んでいる。だから、竹下通りの最終地点辺りにあるお店に行くときでも、表参道口から出て、ラフォーレ原宿を左に曲がって向かうことがほとんど。だけど、この日は「どれ、たまには竹下通りでも歩くか」と思い立った。モーニング娘。の辻ちゃんと加護ちゃんが番組の企画で竹下通りを駆け抜けたことを思い出したからだろう。
竹下通りに、いざ、足を踏み入れる。平日なのに人が多い。おかしい。観光客の数が異常だ。サッサカサッサカ歩けない。急いでいるわけじゃないけれど、自分のペースで歩けないのは少々イラついてしまう。もし今ここに赤兎馬を呼べたなら、私は呂布のように竹下通りを駆け抜けるだろう。
という話を友人にしたら、「発想が物騒」だと言われた。危ない運転をする自転車とすれ違ったときは「お前のチャリの後輪蹴り飛ばすぞ」と思っている。混んでいるお店を選んでしまったら「とりあえず全員追い出す?」と言ってみる。自宅最寄り駅近辺を平日の真昼間に歩いている日本人が珍しいのか、ジロジロ見てくるジジイには「お前の年金手帳燃やすぞ」と。まあ、一言でいえば性格が終わってるだけなんだけど。
地元にいたときは、もっと心優しい清楚で可憐な女性だった。東京は、他人が多すぎる。だから、きっと母が子宮の中で私に与えてくれた防衛本能が牙を剥いているんだと思う。他人ってめちゃくちゃ怖くない?
他人の集団の中で「コイツ爆弾を持っているぞ!」って、デマを叫ばれたら集団の中で殺されるかもしれない。だけど「爆弾を持っているとの情報があったので」なんて供述をされたら、私は爆弾魔として殺されたことになる。デマなのに。他人怖くない?
だから私は、人混みが嫌い。他人しかいないもん。嫌だ怖い。知り合いしかいない中でお神輿担いでるとかなら全然いいけど、他人しかいない竹下通りとか結構ドキドキするよね。いつ隣を歩く人が銃を乱射するかわからないし、爆弾が投げ込まれるかもしれない。車が突入してくるかもしれない。スリに合うかもしれない。
「隣にいるこの知らない人は、きっと悪い人なんだろう」と思っているから、全くの赤の他人に対して物騒なことを考えてしまうのだろう。そんな自己解決をした。
物騒なことを考えながら、関東で生きてもう 5 年。5 年前とはだいぶ人間性が変わったんだろうなって思っている。住む場所が変わるだけで人間性も変わるなんて、まさにオーマイガーな人生だ。オーマイガーでアンビリーバボーなマイライフをこれからもエンジョイしていきたいね。2019 年も残すところあと 9 ヶ月。いい感じに、生き抜いていこうな。他人を赤兎馬で跳ね飛ばしたい気持ちを押さえ込みながら。……ちょっと乗馬でも習いに行こうかな。