この人生は暇つぶしや退屈しのぎといった類のものである。
時間をどのように潰していくかが重要で、最も豊かで心地よく時間を潰すことができた人間こそが素晴らしいと思う。
なんてことを最近よく考えています。
人生は退屈しのぎであるとして、昔を振り返ってみると
18 歳ごろまでの義務教育 + α の期間ではスポーツ・友人がその退屈しのぎに大きな役割を担ってくれていました。
特に友人との旅は、親に力を借りなくてもどこにだって行けるんだって感覚が今でも心ときめくし、友人との音楽活動は初めての芸術活動だったのでとても楽しかったです。デンワ公園で、校庭で、ジャノメ公園で、スタジオペンタ吉祥寺店で、井の頭公園で、厚木の友達の家で遊んでいたら、時間がビュンビュンすぎて行きました。なんとなく友達関係が楽しくもあり、苦しくもあった記憶があるんですが、この頃は基本的には何も考えずに楽しく生きていた気がします。
18 歳から 23 歳ごろまでの大学生は恋人・仕事(ごっこ)がその役割にとって変わったように思います。
当時 5 年間付き合っていた恋人と過ごした時間は、すごく穏やかで良い時間だったなと振り返って思います。恋人との関係性は人生に長期的な目線を持つきっかけになりました。そういえば、なんで結婚ってあるんだっけ?とか、子どもってどういう存在なんだっけ?とか、そもそも生きるってなんだっけ?みたいなことを考えだしたのはこのあたりからです。
一方、社会との接続が近づいてくるこの頃あたりから『生きていかなきゃ』という気持ちも芽生えてきて。その結果として、仕事に興味が出てきました。就業体験として猫のいる会社でインターンをしてみたり、パリピな会社でインターンしてみたり、会社を 2 つほど作ってみたりしました。まともに成立したものは少なく、今見てみれば仕事ごっこのようなものでしたが、社会の仕組みに触れることができたし、自分の生きる力の無さも実感できました。知らないことを考えたり、知る機会が多かったです。この頃あたりからは今の価値観に近い、退廃的な価値観が形成されていたように思います。
24 歳から 26 歳ごろまでの新社会人の時期はプログラミングと夜遊びと音楽が退屈しのぎの役割を果たしてくれていました。
まずは仕事ごっこで痛感した社会で生きる力のなさを、プログラミングが解消してくれました。プログラミングが身についていく感覚は、さながら生きる力がついていくような感覚でした。自分の中で初めて『生きていけるかもしれない』って思えた成功体験だったと思います。今でも自分が思いついたものを自分一人で作り切れるんだって感覚はたまに自分を救ってくれています(オンライン限定だけど)
あとは恋人と別れて、色んな人と会った期間でもありました。それこそ毎週 2,3 人は知らない誰かとお酒を飲んでいた気がします。知らない趣味や知らない仕事の話を聞くことはとても楽しかったし、人によって違う癖に触れるのがとても楽しかったです。そんなこんなでプライベートは、かなりその日暮らしな生活を送っていたけれど、これだってとても楽しかったです。醸成中の価値観の確認作業だったのかもしれないです。音楽は長くなりそうだからいいや。
そして、現在 27 歳。今の感じで行くと、読書(歴史)と音楽が退屈しのぎの役割を果たしてくれそうです。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とビスマルクさんが言ったらしいんですが、これをずっと勘違いしていました。
一般通史を見て、戦争などから今に生きる教訓や姿勢を学べと言う意味かと思っていて、『説教じみてて、歴史つまんないよ〜』と思っていました。
これどうやら違っていて、
教訓や姿勢を学ぶだけではなくて、過去から現代に繋がる文脈からお前の立ち位置を学べ。ってことでした。たぶん。
例えば、お前が作っている音楽が現代にある理由を見てみると、点としてそこに存在しているわけではなくて、やっぱり線としてそこにあるんだということを本を読んでみると感じます。和声法を生み出した人がいて、聴衆が誕生する経緯があったりして、バンドって形を作った人がいたりして、、、って上げだしたらキリがないですが。
自分が作るものがどんな凡作であっても、歴史としてつながっている。
近代のクラシック、それ以前の音楽から連なる歴史の上に今音楽を楽しむ誰しもが立っていて、それは聴衆としてもそこに立場があって、それを理解した上で新しい一歩を考えることは、世界、過去未来含めた、あらゆる人類とつながることなのだと。そのことに得も言われぬ高揚感を感じています。これはいい退屈しのぎになるぞと心が高まっています。
(歴史を学ぶことで地続きの中に立てるなんてことは、考えてみれば小学生でも理解できそうなものですが、やっと自分は実感値を持って理解することができました。生きるセンスが悪い感があります。)
振り返ってみれば、3 歳の時に初めて引越しの経験(広島 -> 兵庫)をし、11 歳で 2 回目(兵庫 -> 東京)
その後は私立の中学に進学したため、また地元の縁が切れたりと、ずっと点で生きてきた感じがあって、社会と接続して無い感じというか、立つ場所がここしか無いなって感覚がありました。(まあ普通によくあることですが)
でも、もっと長大的な視点で見れば、ちゃんと僕も文脈の中に生きていて、線の世界の住人なんだって思えたことが嬉しいのかもなと思います。
また名前についても気づきがあって、
位置的に断絶していたことプラスして、僕は何か対外的に活動する時にペンネームを使うことが多くて、さらにはそれを不定期に捨てようとしていたり、ここでも点的なスタイルが影響してたのかとハッとしました。本来与えられた名前は家族という文脈が過去にずっと連なっていて、それは良くも悪くも線の世界の話だったなあと。まあ本名を使うかどうかはまた別の話なんですが、なんとなくハッとした話でした。
話は変わって
最近、澁澤龍彦の本を読んでいます。その澁澤龍彦の交友関係にたびたび、三島由紀夫が出てくるので気になって、そういえば東大全共闘の映画あったなぁって YouTube 調べたら、予告があったのでそれを見てみました。
その映像の中で、三島が当時の学生たちに対して、『君たちの生は、生産目的から切り離されてる。』みたいな発言していて、
『まさにこれだよ!』とディスプレイの中の三島に向かってグッジョブポーズです。
退屈しのぎの人生の正体、虚しさの正体が、またひとつ補完されてとても嬉しい気持ちです。
人類が不幸を取り除き、生命維持が既存の大人たちだけで回るようになった結果。
また一方で、避妊技術が向上し、生むか生まないかをコントロールできるようになった結果。
その二つの結果によって、『外的存在理由を失った、なんとなく生まれちゃったベイビー』がこの世の中にたくさん溢れているのだと思いました。(生まれちゃったというよりは、生み出されたの方が正確か)
内的存在理由と外的存在理由は分けて考える必要があって、内的とは自身の中に存在する理由を見つけること。内的存在理由は冒頭から散々述べているように昔から今に至るまでずっと無い。
ただ外的存在理由は昔はあったんです。畑を継続するためとか、お金を稼ぐためとか、身分がどうだ、戦争がどうだ。なんて言って、外的に存在理由を与えられていた時代があった。(≒ 生きるために生きていた時代)
しかし、現代では自由主義や資本主義によってその外的存在理由がどんどん希薄化している。だから『退屈しのぎ』的な価値観を持ちやすいのかもなと。(ちょっと前まではこの世界観の延長では人類総中世貴族時代がくるのかなとか思ってたんですが、それもどうだろうか。)
外的存在理由が希薄化している件は今後 かならず加速していきます。
なぜなら現在ギリギリ持ち堪えている労働という、外的存在理由(ここで自己実現を果たす人おおい)が AI やロボティクスによって完全に消滅しようとしているからです。もちろん、まだ数十年はかかるでしょうが、この方向に人間が進んでいることは間違いありません。
内的/外的存在理由を完全に失った人類はどうなるのか。生きるために生きる時代が完全に終了した時、人類はどうなるのか。『退屈しのぎ』の世界観が研ぎ澄まされた世界で人間は正気でいられるんだろうか。
なんとか正気を保ちつつ、
『宇宙を目指す』みたいな人類共通の文脈が出てきてフロンティアに生きるとか
(VR など)電子世界の中で個別最適化された世界を生きるみたいな感じになるといいなあと思っています。
まあなんにせよ、人類の人生ゲームの上がりは近いのかなって思います。
まあもしかしたら、戦争が起こったり、今みたいなパンデミックが頻発して、また生きていくために生きる時代に戻るかもしれませんが。
なんて、大それたことを思ってしまうほどには、読書に熱いものを感じています。