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        2021/01/17 - わかったつもりにならないことが肝心

        Written by: maru_u___
        Published: 2021-01-17 | Updated: 2021-01-17

        最近は 1 人の時間が特に多いので、否応がなしに自分のことが見えてきます。
        物心ついた頃から『優しいね』とか、『穏やかだね』と言われることが多かったし、僕自身も自分のことをどちらかというと優しくて穏やかな人間な部類なのだろうと認識していました。思い上がりもいいところなんですが、特にそれで不便もなかったので。

        しかし、最近になって自分の心の動きを見るに、その自己認識にズレを感じるようになりました。
        心に余裕がないことも影響しているかもしれないけれど、些末なことにイライラして、心の奥の方で中指がたっている状態です。

        先週、薬局で処方箋の受付待ちをしていると親子連れが入ってきて。普段であれば気に留めないのですが、小さい子どもが楽しそうにはしゃいでいたのを見て『うるせぇなぁ』と反射的に思ってしまいました。

        思い返してみれば、小さい頃からずっとそうだったかもしれない。心と行動がリンクしていないだけで、心の中では優しくない気持ちがいっぱいあったような気がします。
        はたまた、優しい自分という自己認識に引きずられてやりたくない優しい行動をしていたのかもしれないし、あるいは打算的な思考によるものかもしれない。ビビってただけかも。割とそんな気がする。

        少し正しい自己認識が得られた気がします。

        昔付き合いのあった先輩から『言葉を信じるなんて無駄だと思う。だって、自分も本当のことなんて滅多に言わないから』という話を聞いて確かにそうだなと思ったことを思い出しました。
        その言葉を聞いてからは、相手のことは長期的な行動で察するようにしようと思っていたけど、今回の気づきから思うに長期的な行動すら心を表したものではない可能性あるなと。無意識行動だけをロギングすればあるいは判別可能かもしれないけど、そもそも無意識行動か意識行動かすら区別はつかない。

        なかなかどうして自分の、他人のベストアンサーを見つけることは難しいものだなと思ったりします。自分のことも他人のことも、わかったつもりにならないことが肝心かもしれないですね。

        今回の気づきで、自己認識が社会善の方向から、独善に近づいた感じがするのは、たぶん気のせいじゃないですが。
        自己認識も思考も理解もツールでしかなくて、それ自体が素晴らしいわけではないと最近よく思う。楽しく生きたい